ACIM個人セッションの感想として、KUUKAさんの感想をご紹介します。
KUUKAさんは、定期的にACIM個人セッションを受講していただいており、KUUKAさんご自身のコース実践における洞察や気づきのプロセスは、コース実践者にとって大変参考になるかと思われます。
ということで、KUUKAさんご本人のご了承のもとに、セッションの感想としてシェアさせていただきます。
興味のある方は、どうぞご覧くださいませ。ありがとうございます。
<KUUKAさんのメールより>
おはようございます。
夜中に目が覚めて、昨日学んだことの意味、全体像が見えてきました。
今までの学びが、今の段階でではありますがつながりました。
これをやっていくのか!と同時に、こんなことをやっていくのか、、、と。
これじゃ 攻撃できない、 投影できない、他者はいない、 全部自分の(選択)のせい。
あーー、もう全く、自分の自覚のあるところでは自ら攻撃しない。投影しない。
その代償を真に自覚するなら、できない、やらないってことになりますね。
そこからさらに、無意識での投影を見て(見つけて)それも自分の選択=真の原因のせいだとしていく。(あえて、せいとか責任という言葉にしています。)
そりゃ、世界は実在しなくなるなぁ。そりゃ、肉体も実在しなくなるなぁ。
要は、実在していないのだから、実在させないんですね。
奇跡は世界は実在しない、させない方向ですもんね。
これは、ほんとに、心じゃないと無理だという意味がますますはっきりとわかりました。
聖霊に持っていかないと無理だ。聖霊に頼らないと無理だと。もう 絶対に無理ですもんね。
てか、それを妥協なくしていくなら、そりゃ実在しませんよね。世界は。
それでも、ありとあらゆるものを使って、実在させてしまう自我はすごいな〜と思います。
もりGさんはこれをやってるのですね。
これは出家レベルではありませんか。これではまるで生き仏のような生き方ですね。
(実際昨日はなんとなくそう見えました。それが延長なのでしょう。)
これがコースの実践なんですね。
本当に、結局赦ししかなくって、全部自分で望んで決めたことで、全部自分の責任で、それを認めて赦したら、やっぱり
全部を、世界を、自分を放棄する(自我にとってはあきらめる)ことになるんだな〜と思いました。
放棄して(あきらめて)いない限り苦しむ。世界を実在させたいと思っている限り苦しむ。=投影・攻撃をするから。
でも何を使ってでも世界を、自分を実在させていたい。 (投影・攻撃していたい。)
その自我の意図(目的)に気づいていくだけなんですね。
でもやはりこれは心に戻ってなかったら無理ですね。心に戻らなければ無理ですね。
これはもう出家(あえて出家という表現を使っていますが)するような意識でないと、 ガチッと方向なんて定まりませんよね。
そうでなければ、両方とも望んでいるし、いや、そもそも分離し続けることを望んでいますものね。
でも、それも決して形態ではなく心。心が出家ですね。
心が出家するくらいの意志がなければ無理ですよね。ガチッと方向が定まるなんて、、、
もりGさん、拝みます。笑
でもほんとに、この世界にいたら苦しいだけですものね。ほんと、産まれてもいないし死んでもいないんですね。
まだ、気づきがあっただけですから、それを実践に落とし込んでいく必要がありますが、とても大きな気づきだと自分では思います。
昨日はもりGさんがそれを体現されていました。もりGさんの言葉や、テキストのイエスの言葉、そして、そのあり方で学ばせていただきました。
そうやって神の教師になっていくのですね。
それを私ができるかはわかりませんが、ただ、赦しを実践するかしない。それだけですね。
ありがとうございました。
ーKUUKAさんのメールよりー
Radical Non-Duality
ーノンデュアリティ・ファシリテーター:もりGオフィシャルサイトー 自分のスピリチュアリティに真剣に取り組んでいる人へ、 妥協なきノンデュアリティの探求を恐れない人へ、 飾り気のないリアリティに向き合う準備ができている人へ。
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